書家の思い出
2009年 07月 04日
「文字を書くプロ、その実力は?」
今回、縁あって筆耕の道口さんに取材させてもらえた。
さて、ぼくの人生で筆と言えば、道口さんの他に縁のあった人がもう一人いた。
その人は高校時代の書道の講師、柿沼先生だ。
ぼくは書道の授業をとっていなかったけれど、おもしろい先生で何度か話したことがあったのだ。
かぎられた会話ではあったけれど、そのすべてがすごく刺激的だったのを覚えている。
_____
この先生、お手本も何もなしで、半紙に「書きたい物をかけ」という授業をやっていた。
こういう風な授業をやると生徒の反応も様々。
・JーPOPの歌詞ばっかり写すやつ
・筆を使わないで、手とか、体とかで書いちゃうやつ
・とりあえず「バカ」とか「うんこ」とか書いちゃうやつ
そして、半紙を目の前に1時間、何も書けないやつ
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書道室は放課後になるとロックがガンガンかかっていた。
クイーンとかそんな定番ぽいのばっかりだったと思う。
この先生はもちろん自分でも書を書いていて、「ロックを聴きながらマラソンして何がなんだかわからなくなった後に書をしたためる」とかいう何がなんだかわからない書き方をしていた。
なんでもこうすることにより、自分の中の表現をする上で邪魔な「我」がいくらか引っ込むらしい。そんな話をしたことがあった。
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ぼくは高校生の頃、美術部だったので、あまり先生と多くの話をできなかったのが、今思えば残念。
放課後、美術室でコクトーの小説(『恐るべき子どもたち』)を読んでいたら、柿沼先生がやってきて、「この学校にコクトーなんか読んでいるやつがいるのか!」「キミはいったいどんな作品を作っているんだ?!見せてみろ!」って延々ものすごく褒められたのが一番いい思いでだ。
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どうでもいいが高校生の頃のぼくは現代美術になんかかぶれていて、村上隆とかの展覧会を栃木からわざわざ見にいっていた。美術部での創作物もひどいものだった。10年前の話なんで許して欲しいです。なにしろスーパーフラットだからな(関係ない)。
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そしてその先生はいまや、とんでもない第一線のアーティストになってしまった。
前衛とも言える書道だ。
柿沼康二
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道口さんに取材していたら、ちょっと柿沼先生のことも、思い出した。
今回、縁あって筆耕の道口さんに取材させてもらえた。
さて、ぼくの人生で筆と言えば、道口さんの他に縁のあった人がもう一人いた。
その人は高校時代の書道の講師、柿沼先生だ。
ぼくは書道の授業をとっていなかったけれど、おもしろい先生で何度か話したことがあったのだ。
かぎられた会話ではあったけれど、そのすべてがすごく刺激的だったのを覚えている。
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この先生、お手本も何もなしで、半紙に「書きたい物をかけ」という授業をやっていた。
こういう風な授業をやると生徒の反応も様々。
・JーPOPの歌詞ばっかり写すやつ
・筆を使わないで、手とか、体とかで書いちゃうやつ
・とりあえず「バカ」とか「うんこ」とか書いちゃうやつ
そして、半紙を目の前に1時間、何も書けないやつ
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書道室は放課後になるとロックがガンガンかかっていた。
クイーンとかそんな定番ぽいのばっかりだったと思う。
この先生はもちろん自分でも書を書いていて、「ロックを聴きながらマラソンして何がなんだかわからなくなった後に書をしたためる」とかいう何がなんだかわからない書き方をしていた。
なんでもこうすることにより、自分の中の表現をする上で邪魔な「我」がいくらか引っ込むらしい。そんな話をしたことがあった。
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ぼくは高校生の頃、美術部だったので、あまり先生と多くの話をできなかったのが、今思えば残念。
放課後、美術室でコクトーの小説(『恐るべき子どもたち』)を読んでいたら、柿沼先生がやってきて、「この学校にコクトーなんか読んでいるやつがいるのか!」「キミはいったいどんな作品を作っているんだ?!見せてみろ!」って延々ものすごく褒められたのが一番いい思いでだ。
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どうでもいいが高校生の頃のぼくは現代美術になんかかぶれていて、村上隆とかの展覧会を栃木からわざわざ見にいっていた。美術部での創作物もひどいものだった。10年前の話なんで許して欲しいです。なにしろスーパーフラットだからな(関係ない)。
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そしてその先生はいまや、とんでもない第一線のアーティストになってしまった。
前衛とも言える書道だ。
柿沼康二
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道口さんに取材していたら、ちょっと柿沼先生のことも、思い出した。
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| 2009-07-04 23:15
| 雑記